絵を描く女の子、、、

ある少女がクレヨンを使い夢中になって絵を描いていた

「そんなに熱心に、何をかいているの?」 ママがたずねた
「神様の絵を描いているのよ、ママ」 少女は目を輝かせて答えた
「まあ、それはステキねぇ、」ママは続けた「でも、神様がどんな方なのか
ほんとうは誰も知らないのよ。」
「そう」 少女は楽しげに「じゃ、私が書き終わるまで待って、、、」

ある男が自分の心と身体の自由を探りながら何十年も費やしていた

時にはPCに向かい、時には何時間も歩き続け、何かを捉えようとしていた
やがて、友人が何をしているのかたずねた
「僕は自我を持たない俳優になる」 男は答えた
「それはけっこうだ」 相手は続けた 「でもそんな俳優見たことないな」
男は微笑んだ 「じゃ、ちょっと待ってもらえますか」

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衰えと戦わない、、、

年齢と共に身体の能力が落ちた、感じる人が多いと思う

多くの人は体力測定などの記録は下がるし、スピード、パワーの衰えを体感する機会が増える。

若い時に殆ど運動をしなかった人がエアロビ、ジョギングなどを始めると運動能力が上がったと感じることもあるらしいが、いずれにしても「或る時期(ピーク)」を過ぎれば能力は衰えると言えるだろう、、、

そこで、確実に上達し続けるか、殆ど衰えない目標を見つけた。運動やトレーニングも含めた日々の生活を「必要最小限の力で行なうこと」だ

ジョギングなら、同じ距離、時間を走るのに、日々「力を抜いていく」。今日、楽に走れたら、次の日は「さらに力を使わない」走りをする。「必要最小限」を探し続けることは際限が無い、、、はずだ

視点を変えれば、いつまでも楽しめる、、、

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無粋だよ、、、

寿司屋さんで「あがり(お茶)」「むらさき(醤油)」などの隠語を使うのを、「無粋なこと」として嫌われていたのを知ってますか?

無粋かどうかはともかく隠語、業界用語は仕事中に仲間同士でつかうもの、だと思う

さらに、笑いを取るためのタレントなみにカタカナ用語、外国語を使いすぎる文章、会話も興ざめだ、、、

「あけおめ」「できはや」「KY」などの省略も時には面白いが、基本的にはどうかと思う

HP、ブログ、節操のない人間が氾濫している時勢では、業界用語、マニアックな言い回し、を見聞きすることも多いだろう

人と違った言動をするのも、個性のひとつだし、自由だ

でも、隠語、業界用語などを「わからないであろう人」の前でも平気で使う、いちいち解説しながら使うのは、、、

無粋だよ、、、

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同じ心目線で、、、

いつの頃からか、ニュース、TVドラマ、新聞などで「不適切な表現」という基準ができた

どんな表現でも賛否両論、基準は人それぞれだと思う

「身障者」「XXが不自由な方」は適切、または当たり障りのない表現とされているようだが、演劇や映画では、昔ながら「めくら」「びっこ」「かたわ」などという表現が使われる

これらの語感は確かに差別的なニュアンスもあると感じるが、童話「ちびくろサンボ」や「こびとという歌詞のある童謡」までが「好ましくない」というのは、どうだろう、、、

ことは進んで、「体型、体格」のことを言ったらセクハラ、仕事の能力について注意したらパワハラ、、、これらのことは、子供の頃から相手とちゃんと交流して、肉体的、精神的な違いを認め合っていれば「大きな問題」にはならないと感じる

子供と話すとき、大人がしゃがんで目線を合わせてやると子供は安心して要点を理解しやすくなるそうだ

相手の年齢、性別、性格、などの違いを全て認めたうえで「心目線は同じ」にしようよ!

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ストレス対処法

XX恐怖症の治療法に、恐怖の対象、状況から逃げないで自分の限界を見極める方法がある。人間は恐怖の限界を感じると同時に、その度合いが下がるのだと言う

僕は、今も昔も、人前で「もの凄く緊張」するし、興奮の度合いは、年々「高く」なっていると感じる。心身の無駄な力、緊張を省いていくと、感覚が鋭くなるのだろう。見た目は汗もかかず、表情も声も変わらなくなったが、内面の興奮は年々増している

日常では、心配事を引きずることが殆ど無くなった。速やかに限界を超えてしまうのだろう。怒りも直接相手に向ける前に、MAXを超え冷めてしまう

心配事、怒り、恐怖に対処するために、じっくり付き合うのも良いと思うが、短時間に集中して一気に限界を超えて「ほったらかしておく」。後でどうしても気になったら、気楽に眺める。こんな方法はどうだろう?

そもそもストレスは真面目な人が抱えるもので、真面目に対処しようとすることがストレスの元のような気がする

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逆から見れば、、、

渦巻き型の蚊取り線香を真ん中に置き正対する二人には、それぞれ「時計周り」「半時計周り」の蚊取り線香が見えている

僕らは太陽の周りを超高速で回っている地球の動きを実感できないし、太陽が動いているように見えている

哲学や精神論、芸術論は、もっと複雑に絡み合った「相反する見方」が混在している

「絶対にXXX」と言う発言には、例外が存在する場合が多い

何かを崇拝、狂信的に信じる人は、決意を「ひるがえす」場合が多い

「何かにこだわり過ぎる」と本質を見失うことが多いと感じる

「譲れないこと」は最小限にしたほうが、「譲らずに済む」し「自分を信じられる」と思う

「絶対に譲れないこと」など無いのかもしれない、、、

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決して交わらない、、、

最近、心身に沁みついたことがある

「受け入れる」ことと「赦す」ことは、限りなく近いが決して交わらない

「自信がある」ことと「満足している」ことは、限りなく近いが決して交わらない

「受け入れる」けれど「赦してない」こともあれば、逆もある

「自信はある」が「満足している」とは限らない、もちろん逆もある、、、

自然、人、事象など自分の回りの事、自分の精神、肉体、言動、全てに当てはまる

全ての事を評価なしに冷静に観る、という「達観」の境地は目指して無いが、

自分の感情を冷静に観察する意識が「効いてきた」実感はある

そして

「この能力を磨くこと」と「俳優の道」は限りなく近いが決して交わらない、、、

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彼は、、、

出演した映画がロードショー公開中

今作は撮影終了時に「作品と自分」に対して「期待感と満足感」を持っていた。関係者試写会、批評記事、風評、期待は大きくなった

先週、家族と一緒に映画館で作品を観た。家族は、スクリーンの向こうの僕に対して特別な思いがあっただろうと思う。それが恥ずかしくて、今までは家族と一緒に自分の出演作を観ることは無かった、、、

関係者試写会、メイキング番組、予告編などで「自分の貢献」に確信が持てたので、今回は自分から家族を劇場へ誘った。

僕の気になる俳優達が、自分の演じた役を「彼」「彼女」「あの人」などと呼ぶ感覚が好きだったが、僕も初めてスクリーンの中の自分を「彼」と感じた、、、

もちろん「好感」を持って、、、

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何度でも

はっきりとしたイメージがあれば行動は続くし、長く続けられることは無意識に確信があるのだと僕は思う

明らかに不可能と思える目標でも、そこに向かう行動を続けることは可能だ

役の肉体や状況を完全に追体験するのは不可能だが、僕はそれを目標に訓練している

僕の演技が完全に行き詰った時、後輩が言った

「アフリカに絶対に雨を降らす『雨乞い』のできる部族がいるんです。どうしてだと思います?」

僕は、首を横に振った

彼は僕の目を真っ直ぐに見つめて言った

「彼らだけが、雨が降るまで『雨乞い』を絶対に辞めないんです、、、」

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"ちらす”より”吐き出す”

興奮、緊張、極度の集中、意思の力、薬物、アルコールなどの作用で意識を逸らしたり、感覚を麻痺させたり。我慢できないと感じる心身の痛みを「ちらした」経験があると思う

身体のあらゆる部分を弛めながら「口とおしり両方の呼吸」を続けると、思わぬ声が出たり、強い喜怒哀楽が湧きおこるようになる。ある部位と特定の感情が連動してると感じたり、思わぬ感情が飛び出したりする。瞑想と違うのは、身体の動きを止めないのと、声、感情を抑えないことだ。いずれにしても、感覚が覚醒する

僕の場合、怒りや後悔は大体同じ場所に「溜まって」いたようだ。それに気づいてから、怒りを感じる前に「そこ」を弛めるか、怒りが納まったらすぐに「そこ」を弛めるように心がけている。大抵の場合「そこ」を弛めて怒りを「吐き出す」と笑いがこみ上げてくる。「そこ」は個人差はあれ、大体腹から腰のあたりにありそうだ。

いずれにせよ、口とおしり両方の呼吸が身に付くと、自分の感情がほんの少し「前もって見える」ようになると思う

怒りを笑いに変化させましょうよ! みんなで!!!

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«いつまでも一般の観客