悪の無い世界が良いのか?

或る映画作家が「悪を無くせば世界は良くなる、と言うような作品は造らない」と語っていた

悪、と言っても「自分の気に入らないこと」から「世界をコントロールする金融コンゴロマリット」、更には「宇宙を自由に操る悪魔」まで途方もない範囲にわたるだろう

僕が一番身近に感じる「自分の気に入らない」という悪について改めて思いを馳せてみた

何かを「気に入らない」と感じたら、基本的には(1)それを避ける、(2)それを気に入るように変化させる行動をとる、と言う二つの対処法がある

さらに「それを気に入る」ように(1)対象を変化させる、(2)自分を変化させる、という事が思い当たる

人間の感覚は日々変化するものだが、本能的に嫌いなこともある。そういうことに対しては「私はXXが気にいらない」と自分自身に対してはっきりと宣言したほうが効果的だと感じる

こちらから「近づくこと」はないが、「避けるほどのことでは無い」と思えるまで自分自身に宣言する、これが良いと思う・・・悪は無くならないと感じるし、あったほうがおもしろい

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感情の暴走・・・夢または無意識

或る刺激がきっかけで、強い感情が蘇って暴走することがある

暴走するスピードが身体の反応を超えているらしく、眼の前の対象に喜怒哀楽をぶつけることはめったにない・・・

話は変わるが、最近夢を見ている時に「夢の世界を体験している」と確認できることがある。その夢の世界は、視覚、聴覚はもちろん味覚、味覚、触覚も実生活に近いと感じる。

実生活との一番の違いは、やはり「空間と時間移動の自由さ」だろう。しかし、「夢の世界にいる」実感があるときは「意図的な空間と時間移動」が可能だ。

長年の訓練で、無対象での「五感の創造」は出来る。しかし、無意識に蘇った感情のコントロールは難しい。

「すべての事象、物質は基本原子の移動スピードと波状で表せる」と言う理論もあるくらいだから、実生活と夢の五感が同じでも不思議は無いと感じている・・・

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「楽しむ」こととは、、、

かなり物をよく考える友人とのメールのやり取りで、

「僕は周りのすべてのことを楽しめるようになった、、、」と伝えたところ

「それは羨ましい。私は腹の立つことが多くて、、、」とのコメントが返ってきた

その時は論点が違うのでそのままにしておいたが、「憤りを楽しむこと」を伝えたい

「何かに腹が立って」心身が反応すると、僕の感覚は暴走する。一瞬のうちに、対象を粉砕、消滅させる色々なイメージが脳裏を駆け巡る

その時に我に返る、「今の展開(感覚)は面白い、後で再現してみよう」と、、、

再現された感覚は自殺、殺人、テロ、戦争を引き起こすに充分であると実感しているが、演技以外には絶対に使わない(コントロールする)と決めている。

そんな、自分の矛盾するような感覚もまた、、、「楽しめる」

では、また

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まず自分で、、、

携帯電話(ゲーム機)の画面を見つめ、ヘッドホーンやイヤホーンで耳を塞ぎ、「私にかまうなオーラ」を放っている人が多いように感じる

数年前から、携帯電話にPC機能の多くが備わっている。画面が大きく鮮明になり、データの受信速度も速くなった。あらゆる分野のメールマガジン、ニュースサイトにアクセスできる。様々な情報を、すぐに得られる。

反面、ある脳生理学者も言っていたが、声を出して読んだり、手を使って書き写した情報は忘れにくく、理解しやすい傾向があると思う。

そこで僕は、「XXXする10の法則」「XXX社会を乗り切るには、これだ!」など興味を持った話題をまず自分なりに情報収集して文章にまとめてみることにしている。それでも、興味があるなら当該の記事、書籍を読んでみる。

まして、哲学的といわれるような問題は、まず自分で徹底的に考えてみなければ、誰の理論を読んでも得るものは無い。

小学生の読書感想文から、大学生の卒論にいたるまでWeb検索した記事のコピー&ペーストで済ましてしまう人間だらけの社会は、軍事独裁国家より恐ろしいと感じる

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絵を描く女の子、、、

ある少女がクレヨンを使い夢中になって絵を描いていた

「そんなに熱心に、何をかいているの?」 ママがたずねた
「神様の絵を描いているのよ、ママ」 少女は目を輝かせて答えた
「まあ、それはステキねぇ、」ママは続けた「でも、神様がどんな方なのか
ほんとうは誰も知らないのよ。」
「そう」 少女は楽しげに「じゃ、私が書き終わるまで待って、、、」

ある男が自分の心と身体の自由を探りながら何十年も費やしていた

時にはPCに向かい、時には何時間も歩き続け、何かを捉えようとしていた
やがて、友人が何をしているのかたずねた
「僕は自我を持たない俳優になる」 男は答えた
「それはけっこうだ」 相手は続けた 「でもそんな俳優見たことないな」
男は微笑んだ 「じゃ、ちょっと待ってもらえますか」

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衰えと戦わない、、、

年齢と共に身体の能力が落ちた、感じる人が多いと思う

多くの人は体力測定などの記録は下がるし、スピード、パワーの衰えを体感する機会が増える。

若い時に殆ど運動をしなかった人がエアロビ、ジョギングなどを始めると運動能力が上がったと感じることもあるらしいが、いずれにしても「或る時期(ピーク)」を過ぎれば能力は衰えると言えるだろう、、、

そこで、確実に上達し続けるか、殆ど衰えない目標を見つけた。運動やトレーニングも含めた日々の生活を「必要最小限の力で行なうこと」だ

ジョギングなら、同じ距離、時間を走るのに、日々「力を抜いていく」。今日、楽に走れたら、次の日は「さらに力を使わない」走りをする。「必要最小限」を探し続けることは際限が無い、、、はずだ

視点を変えれば、いつまでも楽しめる、、、

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無粋だよ、、、

寿司屋さんで「あがり(お茶)」「むらさき(醤油)」などの隠語を使うのを、「無粋なこと」として嫌われていたのを知ってますか?

無粋かどうかはともかく隠語、業界用語は仕事中に仲間同士でつかうもの、だと思う

さらに、笑いを取るためのタレントなみにカタカナ用語、外国語を使いすぎる文章、会話も興ざめだ、、、

「あけおめ」「できはや」「KY」などの省略も時には面白いが、基本的にはどうかと思う

HP、ブログ、節操のない人間が氾濫している時勢では、業界用語、マニアックな言い回し、を見聞きすることも多いだろう

人と違った言動をするのも、個性のひとつだし、自由だ

でも、隠語、業界用語などを「わからないであろう人」の前でも平気で使う、いちいち解説しながら使うのは、、、

無粋だよ、、、

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同じ心目線で、、、

いつの頃からか、ニュース、TVドラマ、新聞などで「不適切な表現」という基準ができた

どんな表現でも賛否両論、基準は人それぞれだと思う

「身障者」「XXが不自由な方」は適切、または当たり障りのない表現とされているようだが、演劇や映画では、昔ながら「めくら」「びっこ」「かたわ」などという表現が使われる

これらの語感は確かに差別的なニュアンスもあると感じるが、童話「ちびくろサンボ」や「こびとという歌詞のある童謡」までが「好ましくない」というのは、どうだろう、、、

ことは進んで、「体型、体格」のことを言ったらセクハラ、仕事の能力について注意したらパワハラ、、、これらのことは、子供の頃から相手とちゃんと交流して、肉体的、精神的な違いを認め合っていれば「大きな問題」にはならないと感じる

子供と話すとき、大人がしゃがんで目線を合わせてやると子供は安心して要点を理解しやすくなるそうだ

相手の年齢、性別、性格、などの違いを全て認めたうえで「心目線は同じ」にしようよ!

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ストレス対処法

XX恐怖症の治療法に、恐怖の対象、状況から逃げないで自分の限界を見極める方法がある。人間は恐怖の限界を感じると同時に、その度合いが下がるのだと言う

僕は、今も昔も、人前で「もの凄く緊張」するし、興奮の度合いは、年々「高く」なっていると感じる。心身の無駄な力、緊張を省いていくと、感覚が鋭くなるのだろう。見た目は汗もかかず、表情も声も変わらなくなったが、内面の興奮は年々増している

日常では、心配事を引きずることが殆ど無くなった。速やかに限界を超えてしまうのだろう。怒りも直接相手に向ける前に、MAXを超え冷めてしまう

心配事、怒り、恐怖に対処するために、じっくり付き合うのも良いと思うが、短時間に集中して一気に限界を超えて「ほったらかしておく」。後でどうしても気になったら、気楽に眺める。こんな方法はどうだろう?

そもそもストレスは真面目な人が抱えるもので、真面目に対処しようとすることがストレスの元のような気がする

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逆から見れば、、、

渦巻き型の蚊取り線香を真ん中に置き正対する二人には、それぞれ「時計周り」「半時計周り」の蚊取り線香が見えている

僕らは太陽の周りを超高速で回っている地球の動きを実感できないし、太陽が動いているように見えている

哲学や精神論、芸術論は、もっと複雑に絡み合った「相反する見方」が混在している

「絶対にXXX」と言う発言には、例外が存在する場合が多い

何かを崇拝、狂信的に信じる人は、決意を「ひるがえす」場合が多い

「何かにこだわり過ぎる」と本質を見失うことが多いと感じる

「譲れないこと」は最小限にしたほうが、「譲らずに済む」し「自分を信じられる」と思う

「絶対に譲れないこと」など無いのかもしれない、、、

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«決して交わらない、、、