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"ちらす”より”吐き出す”

興奮、緊張、極度の集中、意思の力、薬物、アルコールなどの作用で意識を逸らしたり、感覚を麻痺させたり。我慢できないと感じる心身の痛みを「ちらした」経験があると思う

身体のあらゆる部分を弛めながら「口とおしり両方の呼吸」を続けると、思わぬ声が出たり、強い喜怒哀楽が湧きおこるようになる。ある部位と特定の感情が連動してると感じたり、思わぬ感情が飛び出したりする。瞑想と違うのは、身体の動きを止めないのと、声、感情を抑えないことだ。いずれにしても、感覚が覚醒する

僕の場合、怒りや後悔は大体同じ場所に「溜まって」いたようだ。それに気づいてから、怒りを感じる前に「そこ」を弛めるか、怒りが納まったらすぐに「そこ」を弛めるように心がけている。大抵の場合「そこ」を弛めて怒りを「吐き出す」と笑いがこみ上げてくる。「そこ」は個人差はあれ、大体腹から腰のあたりにありそうだ。

いずれにせよ、口とおしり両方の呼吸が身に付くと、自分の感情がほんの少し「前もって見える」ようになると思う

怒りを笑いに変化させましょうよ! みんなで!!!

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いつまでも一般の観客

僕は小さな頃、映画、テレビドラマの登場人物が気に入ると、可能な限り「その人物」として過ごした

吸血鬼映画を観た時は「ほんものの にんにく」を窓と入り口にぶら下げたし、ウルトラマンと怪獣は空想だが、地球防衛軍は本当にあると信じていた。空手、柔道の道場にも通ったし、ロッキーは公開に合わせ、トレーニングをしてから観た。お気に入りキャラの演技を真似するのは好きだったし、場合によっては外見やスタイルも取り入れたりしていた。

演技の訓練を始めてからは、日常出会う人や状況にも同じ関心が向くようになったが、基本的な見方、感じ方は変わらない。むしろ、対象(演技者とは限らない)の好き嫌いが激しくなってしまったようだ。そして、自分が演技者だという事は全く忘れて「感想」を言うので注意されることも多い

長い付き合いの演技トレーナー曰く

「感心してる場合じゃない、同じレベルの演技をしてください、、、」

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これでいいのだ

大好きなバガボンのパパの決め台詞だ(赤塚不二夫さんの作ったキャラクター)

僕は自分の肉体、精神、演技力、趣味のスキルなどに課題を見つけたら、すぐに改善に取り掛かる

満足する結果が出るまで訓練を辞めないし、ひとつ目標を達成するとすぐに「次」を探す性格だ

だから、いつも自分の心身、演技などに 「これじゃいけない、もっとできるはずだ」 と満足せず自分を叱咤激励してきた。その気持ちが強すぎたのか、大抵3ヶ月に一回ぐらいの割合で感情が大爆発することがあった(運良く事件、事故は起こしていない)

ところがつい最近、たぶん僕は死ぬまで 自分の身体、精神、技能を向上させる訓練を辞めない、とはっきりと自覚した。つまり、「課題のある僕」は僕にとって必要不可欠なもの、欠点、嫌な部分と思ってた面は僕の人生の「パワーの源」だった、ということに気づいた

すると、それまでも、今も、これからも、僕は、、、これで、いいのだ!、、、と確信した

(不思議にも訓練の質、量は向上してます、、、)

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原子レベル

或る俳優が雑誌のインタビューで

「彼にはかなわないねぇ、彼は役によって細胞レベルで変化するんだ、、、」 と語った

現在の物理学(僕の知る範囲)では、全宇宙を形成する原子は、東京ドームのまわりを超光速で回る電子の中心に、ピーナッツ一粒ほどの原子核と言う構成らしい。つまり、99パーセント空間だという事。電子の動きが速すぎるので、人間の五感では、気体、液体、固体と感じるらしい

インタビューに答えた日本の俳優も、彼と呼ばれたアメリカ人俳優も、役によって体型まで変えることで有名だった。二人の意見に共通するのは、役を追及して内面が変わると、体型は自然に変化する、ということ。人間の細胞の99パーセントが空間なら、電子の動きをコントロールすれば、何にでも変身できるだろう。もしかすると、世界中に伝わる変身する怪物は、実在したのではないだろうか?

僕らも本質を捉えた生活をおくれば、体重、体型をコントロールする能力ぐらいはあるだろう。そうなると、「好きなだけ食べて痩せる」「一日10分で理想の体型を」「食事のあとにXXXを飲むだけ」 などとダイエット、健康を謳う産業は困るだろうねぇ、、、

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感覚を磨く

僕は、13歳の時に左手(利き手の逆)で箸を使うようになった

その頃 始めたスポーツでスキルを向上させ、両手の感覚の差を縮めるためだった

少しずつ「左」を使う行為を増やした。「動き」を細かく分け、左右で検証しながら、「ゆっくり」練習をするうちに右側の行為の力が抜けてきた。これは、後年「役を身体に染み込ませる」時に大きく役立った

さらに、演技の本番中に「リラックスして感覚を研ぎ澄ます」ためには「目を閉じて」役の行動を繰り返す練習がある。これはやってみると分かるが、五感がもの凄く鋭敏になる

その状態を日常に活かすには、「最小限の力で動く」ことが有効。例えば 車を運転する時、ステアリングを親指、中指、ひとさし指の三本で軽く握って動かす。歩く時、走る時は肛門のまわりに力を入れない。がんばる時に歯を食いしばらない、、、など大抵の指導者のいう事の反対である

身体に力が入らない病気の人以外、無駄な力を使ってない人は見たことがない。「脱力」は試してみることを薦めます

ただし、力を抜くのと「だらしない」「生気がない」のは違います、、、念のため

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矛盾と感じることも、、、

僕は演技者として、自分の心身を使って「出来る限り自分とは別の人間」を演じるために訓練を重ねてきた

その過程で、自分の心身を解放しなければならないこと、節制しなければならないこと両方に「向き合ってきた」

観客が同意することと、演技者の実体験、感覚の「微妙なずれ」が無くならないことも数多く経験してきた

そんななか、本能の赴くままに生きることと、物質世界に執着しないこととは両立できると感じるし、そもそも反するものと捕らえてきたセンスを「笑ってしまう」

いずれにしても、「今この瞬間」をありのままに感受して「冷静に楽しむこと」が大切だと思う

この記事は

住職のひとりごと

『死と再生の四十九日』を見て

を読んで書きました

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