その男・・・

はっきり覚えてるのは17歳の秋

或る女性歌手のコンサートにゲスト出演したその男と無言の握手をした

おぼろげなのは11歳の秋

総武線下り電車、新宿から乗車した僕の眼の前にその男(のはずだ)がいた

僕の視線はその男から離れなかった(はずだ)

その男は言う

「生きているのは俺か、おまえか」

僕は自信を持って答える

「俺もおまえも、永遠に生きる」と

その男はいつも僕の少し先を行く・・・

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サバイバル・・・

生き残る種というのは

最も強いものでもなければ 最も知的なものでもない

最も変化に適応できる種が生き残るのだ

                  チャールズ・ダーウィン

程度の差はあれ、人間は自分の居場所を確保しようと戦っていると感じます

一方、目先の事に集中していると選択を間違えることも多いようです

さらに、人は自分の経験に基づいた知識、ノウハウを過大評価しがちな傾向がある

「みんなXXX・・・」という発言の「みんな」は三人から、という心理学の研究データを読んだことがあります

ですから年齢を重ねたり、経験の豊富な人間ほど、慎重、謙虚になる必要があると感じます

人は経験を積んでも「生まれつきの器」は変わりません、くだらぬプライドなど持たないことをお勧めします・・・

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来週は・・・

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか

その船は今どこで ぼろぼろで進んでいるのか

流されまいと逆らいながら 船は挑み 船は傷み

全ての水夫が恐れをなして逃げ去っても

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ

おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

                       中島みゆき 「宙船(そらふね)」より

言うまでもない来週は衆議院議員選挙です

国家規模が大きくなると、個人の意思が反映されないと感じることは多いでしょう

でも、そこが「奴ら」の狙いなんです・・・大事なことから意識をそらそうとしてるんです

棄権するのも意思ですが、それは「人任せの人生」につながると僕は考えます・・・

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バスケットボール・・・

ほとんど報道されないが男子バスケットボールアジア選手権大会が開かれていた

最近は中東勢が台頭し、今大会もイランが中国を破って優勝、ヨルダン、レバノンが3、4位と言う結果になった

僕自身は中学3年間と草バスケット約10年のプレー経験

日本リーグ(JBLの前身)の選手に練習に参加してもらったのが、トップレベルを肌で感じた唯一の経験だ

最近はもっぱらチームの応援に回っているが、区民大会、都民大会のスキルレベルは年々上がっているように感じる

さらにミニバスケットの試合も見る機会があるが、センスの良さそうな選手はかなりいると思う

その経験で「日本に足りない」のは、「基本的なハンドリング技術」と、「なんでもいいからゴールにねじこむシュート」の二つだと感じる

両方とも、小さいときからボールに慣れることから磨かれると感じる

ただし、ミニバスケットでのポジション別の練習(またはポジション分け)は不必要と思う

いずれにしても開催国になる以外、日本男子バスケットボールチームのオリンピック出場の可能性は限りなくゼロに近いだろう・・・

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少数派は「変わって」いるか?・・・

少数派、は「変わっている」と表現されることがある

だが、少数派の言動は「時勢」や「時世」、国民性、地域性によって多数派になるだろう

少数派の中にも、本能的に選ぶ人、意図的に選ぶ人など様々な人がいるはずだ

いずれにしても、少数派の言動を取る人に対して「変わっている」と評価したり、「なぜ、そうするのか?」と問いかける前に、一呼吸おいてみてはどうだろう?

そして「気にかかる何か」を発見したら、それに対する自分のスタンスを掘り下げてみてはどうだろう

自分に実害が無いというだけで、「変わっている」人を「尊重」して「放置」しておくのは「最善」とは思えない

考え抜いても分からないことがあったら、直接問いかけるのも有効だと思う

家族も含めて、相手の身になって考えるのは大切だと思う・・・

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大人の判断・・・

子供のころ歌ったり踊ったりしていると、大人はその日の気分で褒めたり、怒ったりした

何でも好きなことをやれ、と言いながら、許可しないことが多い親、スポーツのコーチ

僕は「納得するまで時間がかかる」ので、疑問は追及する

特に「何でもいいからXXXしろ」「おとなになったらわかる(役にたつ)」「みんなそうする」と言われることは納得できないことが(未だに)多い

多くの人は年齢を重ねて、相手によって言動を変えることを覚える

言葉を変えれば、「自分にとって有効な言動を選ぶ」ようになる

そして、「何」にたいして有効な言動を選ぶか?

僕は「場の雰囲気を壊さないため」と確信できた場合は、(普段は)納得できない言動もとってしまう

こういうコメントをすること自体、納得できてないのか・・・

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無から生まれるもの・・・

俳優、特にTVドラマで活躍する人は個性、キャラクターがはっきりしているか、珍しい人が多い

映画は画面が大きく集中して観るものなので、俳優の特徴は人種的なものも含めて、薄い方が良い

もちろん、演技、メイクでどうとでもなる範囲のことではある・・・

僕は、演技の仕事を始めたころから特徴、特技を身につけようと訓練を重ねてきたが、思うような評価は得られなかった

大きな転機は2001年にやってきた

素の自分を無色透明、からっぽな器にするための訓練、日常が始まった

2005年あたりから、評価が変わってきた

「際立った特徴が殆ど無い、ということが珍しい俳優」という評価が自他共に認める僕の特徴である・・・

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はっきりと差別・・・

真夏の佐賀ロケより戻った

久しぶりに一緒になったRRさんのひとことが心に刺さった

「この世界(俳優)ははっきりと差別がある。それを承知でやるか、やらないか、それだけだ。」

トップの賃金が平社員の20倍を超えるとうまく機能しないといわれる企業に対して、主演俳優のギャラはエキストラの数千倍。宿、移動手段など全てにおいて差別が存在する。

全ての俳優にトップになる可能性があり、そこらじゅうにチャンスが転がっている。と言うほど単純ではない。

むしろ、自分のランク、居場所(ちまちまとした安全圏)を確立しようと一生懸命な役者さんが多いように感じることも多い。

RRさんは焼酎のグラスを手に、こうも言った

「売れる奴には、確かに何かがある。でも、まさかこいつが!!ってことも多いね・・・

まぁ、どうせなら売れたほうが面白いよ・・・」

その時、RRさんいわく「まさか!」のYSさんが現れた

その後1週間、YSさんの「何か」をはっきりと体験することになった・・・

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お知らせ

夜はそれなりに「涼しい」ので体調は良いです・・・

お知らせです

1、来週月曜から金曜までドラマロケで佐賀県に滞在します

  たまたま近くに行く、いる方、会える可能性があります

2、twitter 始めました

どちらも、興味のある方は直接連絡ください

では、また

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永遠の嘘をついてくれ・・・

傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく

ほおっておいてくれと最後の力で嘘をつく

嘘をつけ永遠のさよならのかわりに

          「永遠の嘘をついてくれ」 作詞・作曲 中島みゆき より

曖昧な言葉で責任を濁し

怒りを隠すために 傷ついたふりをする

同情したふりで徒党を組む

老いも若きも、いったいどうしたと言うのだろう?

ただし、これは肝に銘じてほしい

「強さと攻撃性は違う」

という事を・・・

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宇宙の創造・・・

我々の存在するこの宇宙

その企画、製作を担当した三人の創造主たちの会話

「・・・で、ところどころに我々の姿と能力を持った生物を生存させましょう」

「いや、姿だけ与えて、能力は自分で選んで身につけるようにしましょう」

そうして、宇宙のところどころに我々が人間と呼ぶ生物を存在させることになった

「・・・で、我々の計画や宇宙の秘密をどこかに隠しておきましょう」

「なるべく見つけ難いところにしましょう」

いろんな意見が出たが、どれもしっくりこない

長い沈黙のあと、一人が言った

「それぞれの心の奥深くに隠す。さらに、ひとりひとり違った目標を持たせましょう」

我々の時間で言うと百数十億年前のこと・・・

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悪の無い世界が良いのか?

或る映画作家が「悪を無くせば世界は良くなる、と言うような作品は造らない」と語っていた

悪、と言っても「自分の気に入らないこと」から「世界をコントロールする金融コンゴロマリット」、更には「宇宙を自由に操る悪魔」まで途方もない範囲にわたるだろう

僕が一番身近に感じる「自分の気に入らない」という悪について改めて思いを馳せてみた

何かを「気に入らない」と感じたら、基本的には(1)それを避ける、(2)それを気に入るように変化させる行動をとる、と言う二つの対処法がある

さらに「それを気に入る」ように(1)対象を変化させる、(2)自分を変化させる、という事が思い当たる

人間の感覚は日々変化するものだが、本能的に嫌いなこともある。そういうことに対しては「私はXXが気にいらない」と自分自身に対してはっきりと宣言したほうが効果的だと感じる

こちらから「近づくこと」はないが、「避けるほどのことでは無い」と思えるまで自分自身に宣言する、これが良いと思う・・・悪は無くならないと感じるし、あったほうがおもしろい

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感情の暴走・・・夢または無意識

或る刺激がきっかけで、強い感情が蘇って暴走することがある

暴走するスピードが身体の反応を超えているらしく、眼の前の対象に喜怒哀楽をぶつけることはめったにない・・・

話は変わるが、最近夢を見ている時に「夢の世界を体験している」と確認できることがある。その夢の世界は、視覚、聴覚はもちろん味覚、味覚、触覚も実生活に近いと感じる。

実生活との一番の違いは、やはり「空間と時間移動の自由さ」だろう。しかし、「夢の世界にいる」実感があるときは「意図的な空間と時間移動」が可能だ。

長年の訓練で、無対象での「五感の創造」は出来る。しかし、無意識に蘇った感情のコントロールは難しい。

「すべての事象、物質は基本原子の移動スピードと波状で表せる」と言う理論もあるくらいだから、実生活と夢の五感が同じでも不思議は無いと感じている・・・

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「楽しむ」こととは、、、

かなり物をよく考える友人とのメールのやり取りで、

「僕は周りのすべてのことを楽しめるようになった、、、」と伝えたところ

「それは羨ましい。私は腹の立つことが多くて、、、」とのコメントが返ってきた

その時は論点が違うのでそのままにしておいたが、「憤りを楽しむこと」を伝えたい

「何かに腹が立って」心身が反応すると、僕の感覚は暴走する。一瞬のうちに、対象を粉砕、消滅させる色々なイメージが脳裏を駆け巡る

その時に我に返る、「今の展開(感覚)は面白い、後で再現してみよう」と、、、

再現された感覚は自殺、殺人、テロ、戦争を引き起こすに充分であると実感しているが、演技以外には絶対に使わない(コントロールする)と決めている。

そんな、自分の矛盾するような感覚もまた、、、「楽しめる」

では、また

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まず自分で、、、

携帯電話(ゲーム機)の画面を見つめ、ヘッドホーンやイヤホーンで耳を塞ぎ、「私にかまうなオーラ」を放っている人が多いように感じる

数年前から、携帯電話にPC機能の多くが備わっている。画面が大きく鮮明になり、データの受信速度も速くなった。あらゆる分野のメールマガジン、ニュースサイトにアクセスできる。様々な情報を、すぐに得られる。

反面、ある脳生理学者も言っていたが、声を出して読んだり、手を使って書き写した情報は忘れにくく、理解しやすい傾向があると思う。

そこで僕は、「XXXする10の法則」「XXX社会を乗り切るには、これだ!」など興味を持った話題をまず自分なりに情報収集して文章にまとめてみることにしている。それでも、興味があるなら当該の記事、書籍を読んでみる。

まして、哲学的といわれるような問題は、まず自分で徹底的に考えてみなければ、誰の理論を読んでも得るものは無い。

小学生の読書感想文から、大学生の卒論にいたるまでWeb検索した記事のコピー&ペーストで済ましてしまう人間だらけの社会は、軍事独裁国家より恐ろしいと感じる

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絵を描く女の子、、、

ある少女がクレヨンを使い夢中になって絵を描いていた

「そんなに熱心に、何をかいているの?」 ママがたずねた
「神様の絵を描いているのよ、ママ」 少女は目を輝かせて答えた
「まあ、それはステキねぇ、」ママは続けた「でも、神様がどんな方なのか
ほんとうは誰も知らないのよ。」
「そう」 少女は楽しげに「じゃ、私が書き終わるまで待って、、、」

ある男が自分の心と身体の自由を探りながら何十年も費やしていた

時にはPCに向かい、時には何時間も歩き続け、何かを捉えようとしていた
やがて、友人が何をしているのかたずねた
「僕は自我を持たない俳優になる」 男は答えた
「それはけっこうだ」 相手は続けた 「でもそんな俳優見たことないな」
男は微笑んだ 「じゃ、ちょっと待ってもらえますか」

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衰えと戦わない、、、

年齢と共に身体の能力が落ちた、感じる人が多いと思う

多くの人は体力測定などの記録は下がるし、スピード、パワーの衰えを体感する機会が増える。

若い時に殆ど運動をしなかった人がエアロビ、ジョギングなどを始めると運動能力が上がったと感じることもあるらしいが、いずれにしても「或る時期(ピーク)」を過ぎれば能力は衰えると言えるだろう、、、

そこで、確実に上達し続けるか、殆ど衰えない目標を見つけた。運動やトレーニングも含めた日々の生活を「必要最小限の力で行なうこと」だ

ジョギングなら、同じ距離、時間を走るのに、日々「力を抜いていく」。今日、楽に走れたら、次の日は「さらに力を使わない」走りをする。「必要最小限」を探し続けることは際限が無い、、、はずだ

視点を変えれば、いつまでも楽しめる、、、

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無粋だよ、、、

寿司屋さんで「あがり(お茶)」「むらさき(醤油)」などの隠語を使うのを、「無粋なこと」として嫌われていたのを知ってますか?

無粋かどうかはともかく隠語、業界用語は仕事中に仲間同士でつかうもの、だと思う

さらに、笑いを取るためのタレントなみにカタカナ用語、外国語を使いすぎる文章、会話も興ざめだ、、、

「あけおめ」「できはや」「KY」などの省略も時には面白いが、基本的にはどうかと思う

HP、ブログ、節操のない人間が氾濫している時勢では、業界用語、マニアックな言い回し、を見聞きすることも多いだろう

人と違った言動をするのも、個性のひとつだし、自由だ

でも、隠語、業界用語などを「わからないであろう人」の前でも平気で使う、いちいち解説しながら使うのは、、、

無粋だよ、、、

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同じ心目線で、、、

いつの頃からか、ニュース、TVドラマ、新聞などで「不適切な表現」という基準ができた

どんな表現でも賛否両論、基準は人それぞれだと思う

「身障者」「XXが不自由な方」は適切、または当たり障りのない表現とされているようだが、演劇や映画では、昔ながら「めくら」「びっこ」「かたわ」などという表現が使われる

これらの語感は確かに差別的なニュアンスもあると感じるが、童話「ちびくろサンボ」や「こびとという歌詞のある童謡」までが「好ましくない」というのは、どうだろう、、、

ことは進んで、「体型、体格」のことを言ったらセクハラ、仕事の能力について注意したらパワハラ、、、これらのことは、子供の頃から相手とちゃんと交流して、肉体的、精神的な違いを認め合っていれば「大きな問題」にはならないと感じる

子供と話すとき、大人がしゃがんで目線を合わせてやると子供は安心して要点を理解しやすくなるそうだ

相手の年齢、性別、性格、などの違いを全て認めたうえで「心目線は同じ」にしようよ!

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ストレス対処法

XX恐怖症の治療法に、恐怖の対象、状況から逃げないで自分の限界を見極める方法がある。人間は恐怖の限界を感じると同時に、その度合いが下がるのだと言う

僕は、今も昔も、人前で「もの凄く緊張」するし、興奮の度合いは、年々「高く」なっていると感じる。心身の無駄な力、緊張を省いていくと、感覚が鋭くなるのだろう。見た目は汗もかかず、表情も声も変わらなくなったが、内面の興奮は年々増している

日常では、心配事を引きずることが殆ど無くなった。速やかに限界を超えてしまうのだろう。怒りも直接相手に向ける前に、MAXを超え冷めてしまう

心配事、怒り、恐怖に対処するために、じっくり付き合うのも良いと思うが、短時間に集中して一気に限界を超えて「ほったらかしておく」。後でどうしても気になったら、気楽に眺める。こんな方法はどうだろう?

そもそもストレスは真面目な人が抱えるもので、真面目に対処しようとすることがストレスの元のような気がする

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逆から見れば、、、

渦巻き型の蚊取り線香を真ん中に置き正対する二人には、それぞれ「時計周り」「半時計周り」の蚊取り線香が見えている

僕らは太陽の周りを超高速で回っている地球の動きを実感できないし、太陽が動いているように見えている

哲学や精神論、芸術論は、もっと複雑に絡み合った「相反する見方」が混在している

「絶対にXXX」と言う発言には、例外が存在する場合が多い

何かを崇拝、狂信的に信じる人は、決意を「ひるがえす」場合が多い

「何かにこだわり過ぎる」と本質を見失うことが多いと感じる

「譲れないこと」は最小限にしたほうが、「譲らずに済む」し「自分を信じられる」と思う

「絶対に譲れないこと」など無いのかもしれない、、、

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決して交わらない、、、

最近、心身に沁みついたことがある

「受け入れる」ことと「赦す」ことは、限りなく近いが決して交わらない

「自信がある」ことと「満足している」ことは、限りなく近いが決して交わらない

「受け入れる」けれど「赦してない」こともあれば、逆もある

「自信はある」が「満足している」とは限らない、もちろん逆もある、、、

自然、人、事象など自分の回りの事、自分の精神、肉体、言動、全てに当てはまる

全ての事を評価なしに冷静に観る、という「達観」の境地は目指して無いが、

自分の感情を冷静に観察する意識が「効いてきた」実感はある

そして

「この能力を磨くこと」と「俳優の道」は限りなく近いが決して交わらない、、、

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彼は、、、

出演した映画がロードショー公開中

今作は撮影終了時に「作品と自分」に対して「期待感と満足感」を持っていた。関係者試写会、批評記事、風評、期待は大きくなった

先週、家族と一緒に映画館で作品を観た。家族は、スクリーンの向こうの僕に対して特別な思いがあっただろうと思う。それが恥ずかしくて、今までは家族と一緒に自分の出演作を観ることは無かった、、、

関係者試写会、メイキング番組、予告編などで「自分の貢献」に確信が持てたので、今回は自分から家族を劇場へ誘った。

僕の気になる俳優達が、自分の演じた役を「彼」「彼女」「あの人」などと呼ぶ感覚が好きだったが、僕も初めてスクリーンの中の自分を「彼」と感じた、、、

もちろん「好感」を持って、、、

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何度でも

はっきりとしたイメージがあれば行動は続くし、長く続けられることは無意識に確信があるのだと僕は思う

明らかに不可能と思える目標でも、そこに向かう行動を続けることは可能だ

役の肉体や状況を完全に追体験するのは不可能だが、僕はそれを目標に訓練している

僕の演技が完全に行き詰った時、後輩が言った

「アフリカに絶対に雨を降らす『雨乞い』のできる部族がいるんです。どうしてだと思います?」

僕は、首を横に振った

彼は僕の目を真っ直ぐに見つめて言った

「彼らだけが、雨が降るまで『雨乞い』を絶対に辞めないんです、、、」

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"ちらす”より”吐き出す”

興奮、緊張、極度の集中、意思の力、薬物、アルコールなどの作用で意識を逸らしたり、感覚を麻痺させたり。我慢できないと感じる心身の痛みを「ちらした」経験があると思う

身体のあらゆる部分を弛めながら「口とおしり両方の呼吸」を続けると、思わぬ声が出たり、強い喜怒哀楽が湧きおこるようになる。ある部位と特定の感情が連動してると感じたり、思わぬ感情が飛び出したりする。瞑想と違うのは、身体の動きを止めないのと、声、感情を抑えないことだ。いずれにしても、感覚が覚醒する

僕の場合、怒りや後悔は大体同じ場所に「溜まって」いたようだ。それに気づいてから、怒りを感じる前に「そこ」を弛めるか、怒りが納まったらすぐに「そこ」を弛めるように心がけている。大抵の場合「そこ」を弛めて怒りを「吐き出す」と笑いがこみ上げてくる。「そこ」は個人差はあれ、大体腹から腰のあたりにありそうだ。

いずれにせよ、口とおしり両方の呼吸が身に付くと、自分の感情がほんの少し「前もって見える」ようになると思う

怒りを笑いに変化させましょうよ! みんなで!!!

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いつまでも一般の観客

僕は小さな頃、映画、テレビドラマの登場人物が気に入ると、可能な限り「その人物」として過ごした

吸血鬼映画を観た時は「ほんものの にんにく」を窓と入り口にぶら下げたし、ウルトラマンと怪獣は空想だが、地球防衛軍は本当にあると信じていた。空手、柔道の道場にも通ったし、ロッキーは公開に合わせ、トレーニングをしてから観た。お気に入りキャラの演技を真似するのは好きだったし、場合によっては外見やスタイルも取り入れたりしていた。

演技の訓練を始めてからは、日常出会う人や状況にも同じ関心が向くようになったが、基本的な見方、感じ方は変わらない。むしろ、対象(演技者とは限らない)の好き嫌いが激しくなってしまったようだ。そして、自分が演技者だという事は全く忘れて「感想」を言うので注意されることも多い

長い付き合いの演技トレーナー曰く

「感心してる場合じゃない、同じレベルの演技をしてください、、、」

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これでいいのだ

大好きなバガボンのパパの決め台詞だ(赤塚不二夫さんの作ったキャラクター)

僕は自分の肉体、精神、演技力、趣味のスキルなどに課題を見つけたら、すぐに改善に取り掛かる

満足する結果が出るまで訓練を辞めないし、ひとつ目標を達成するとすぐに「次」を探す性格だ

だから、いつも自分の心身、演技などに 「これじゃいけない、もっとできるはずだ」 と満足せず自分を叱咤激励してきた。その気持ちが強すぎたのか、大抵3ヶ月に一回ぐらいの割合で感情が大爆発することがあった(運良く事件、事故は起こしていない)

ところがつい最近、たぶん僕は死ぬまで 自分の身体、精神、技能を向上させる訓練を辞めない、とはっきりと自覚した。つまり、「課題のある僕」は僕にとって必要不可欠なもの、欠点、嫌な部分と思ってた面は僕の人生の「パワーの源」だった、ということに気づいた

すると、それまでも、今も、これからも、僕は、、、これで、いいのだ!、、、と確信した

(不思議にも訓練の質、量は向上してます、、、)

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原子レベル

或る俳優が雑誌のインタビューで

「彼にはかなわないねぇ、彼は役によって細胞レベルで変化するんだ、、、」 と語った

現在の物理学(僕の知る範囲)では、全宇宙を形成する原子は、東京ドームのまわりを超光速で回る電子の中心に、ピーナッツ一粒ほどの原子核と言う構成らしい。つまり、99パーセント空間だという事。電子の動きが速すぎるので、人間の五感では、気体、液体、固体と感じるらしい

インタビューに答えた日本の俳優も、彼と呼ばれたアメリカ人俳優も、役によって体型まで変えることで有名だった。二人の意見に共通するのは、役を追及して内面が変わると、体型は自然に変化する、ということ。人間の細胞の99パーセントが空間なら、電子の動きをコントロールすれば、何にでも変身できるだろう。もしかすると、世界中に伝わる変身する怪物は、実在したのではないだろうか?

僕らも本質を捉えた生活をおくれば、体重、体型をコントロールする能力ぐらいはあるだろう。そうなると、「好きなだけ食べて痩せる」「一日10分で理想の体型を」「食事のあとにXXXを飲むだけ」 などとダイエット、健康を謳う産業は困るだろうねぇ、、、

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感覚を磨く

僕は、13歳の時に左手(利き手の逆)で箸を使うようになった

その頃 始めたスポーツでスキルを向上させ、両手の感覚の差を縮めるためだった

少しずつ「左」を使う行為を増やした。「動き」を細かく分け、左右で検証しながら、「ゆっくり」練習をするうちに右側の行為の力が抜けてきた。これは、後年「役を身体に染み込ませる」時に大きく役立った

さらに、演技の本番中に「リラックスして感覚を研ぎ澄ます」ためには「目を閉じて」役の行動を繰り返す練習がある。これはやってみると分かるが、五感がもの凄く鋭敏になる

その状態を日常に活かすには、「最小限の力で動く」ことが有効。例えば 車を運転する時、ステアリングを親指、中指、ひとさし指の三本で軽く握って動かす。歩く時、走る時は肛門のまわりに力を入れない。がんばる時に歯を食いしばらない、、、など大抵の指導者のいう事の反対である

身体に力が入らない病気の人以外、無駄な力を使ってない人は見たことがない。「脱力」は試してみることを薦めます

ただし、力を抜くのと「だらしない」「生気がない」のは違います、、、念のため

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矛盾と感じることも、、、

僕は演技者として、自分の心身を使って「出来る限り自分とは別の人間」を演じるために訓練を重ねてきた

その過程で、自分の心身を解放しなければならないこと、節制しなければならないこと両方に「向き合ってきた」

観客が同意することと、演技者の実体験、感覚の「微妙なずれ」が無くならないことも数多く経験してきた

そんななか、本能の赴くままに生きることと、物質世界に執着しないこととは両立できると感じるし、そもそも反するものと捕らえてきたセンスを「笑ってしまう」

いずれにしても、「今この瞬間」をありのままに感受して「冷静に楽しむこと」が大切だと思う

この記事は

住職のひとりごと

『死と再生の四十九日』を見て

を読んで書きました

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